●離々日記(9)

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bQ
02/05/12〜02/06/29 bX 04/02/13〜04/06/06
bR 02/07/13〜02/09/18 bP0 04/08/10〜05/03/25
bS 02/11/08〜02/12/24 bP1 05/05/12〜05/12/10
bT 03/01/07〜03/02/26 bP2 06/01/20〜
bU 03/05/12〜03/06/17
bV 03/07/06〜03/09/18

bX−1 04/02/13
 11日に第6回伊賀の国市民活動交流会なるものを名張市で開いた。私は伊賀文化友の会というものを主催している関係からスタッフの一人として参加した。
 友人でドイツ人なのだが、尺八の演奏家がいる。奥さんは日本人で日本に住んで24年になるという。
 彼に市民活動交流会講演会の講師をお願いした。以前に比べると日本語がかなり上手になっているので、ドイツ人の考え方や生活、日本に対する見方などいろいろ聞かされてとても面白かった。
 私には映画に出てくるような話が彼には現実で、そんな体験を持っているのかと、ただ驚くばかりである。
 彼の父はやはり戦争に行っていた。戦後ロシアの捕虜となりシベリアで日本人捕虜と共に強制労働に従事していた。
 その後ドイツに戻りパン屋をしていた。当時は食糧難でパンの原材料が不足して、それでパンの中に食品でないものを混ぜて売っていたという。(今でも堅いビスケットなどには我々陶器屋が使う白い土(カオリン)が入っている。特に食べても問題はない。)
 彼のお父さんは頑固な職人気質なのでそのことに耐えられなかった。そして彼の父は彼が生まれ出る前に射殺されたという。パンの混ぜもの告発が原因だろう。その後は母親がパン屋を継いで彼を育てたらしい。
 亡くなって50年経ったというので、父を知る人からいろいろ手紙を母は最近受け取ったという。彼らの記憶にもその事件は強烈に焼き付いていたのだ。
 島国の日本と違い、ともかく何でも白黒のコントラストは強烈だ。意見を表明してどのグループに所属するかはっきりしておかないと生きていけない。
 私も本や何かで他国の人の考えを知ることはあるが、言語の壁を越えて直接聞かされるのは本当に迫力がある。日本とまるで違う。
 その彼が日本の心を勉強しようとしていて、私が日本の伝統芸について彼から教えて貰う。日本の「和を以て貴しと成す」は素晴らしい教えだと彼は言う。
 私がパラグァイにいた時は美味しい日本酒が本当に飲みたくなっていた、日本に帰って来てからはあちらで簡単に手に入った安くて美味しいワインや寝かせたサトウキビからの蒸留酒を無性に飲みたく思う。
 人は悲しいかなそういう性があるのか、それとも本能的に自らの精神的バランス感覚を目覚めさせようとするのか、私の経験則は私のものだが、それがどこまで通用するか、解らなくなってくることがある。不安になって外部に基準を求めようとする。本を読んだり映画を見たりして満足するのはそう言うことも関係しているのだろう。
 しかし、選ぼうとして良い香水も2,3種嗅ぐと嗅覚が麻痺するそうだ。その時は自分の体臭の染みこんだものを嗅いでリセットするという。実に示唆に富んだ話だ。
bX−2 04/03/01
 裏の山椒の木がいくらか実を付けたまま冬を越したので、この時期雀の格好の餌となっている。毎日十数羽が群がっていて、私を見つけると慌ててすぐ隣の家の屋根に飛び上がる。姿が見えなくなると直ちに降りてきて、賑やかに採食開始。一日に何度も繰り返される我が家の最新の情景だ。
 今が一番食物が無いようで、堅くて美味しいとは言えない山椒の古い実を懸命に食べている。雀は外見上も明らかに冬用の備えをしていて、夏の雀と比べるとかなり太っているように見える脹ら雀というらしい。
 雀はおそらく世界中何処にでもいるようで、かつて私が住んでいたパラグァイにもいた。聖書の中にも「あなたは自身を値打ちのないものと考えてはいけません。価値のない雀ですら街では幾らかで売られているではありませんか」と言う内容がある。
 聖書では鳥を例えに使うことも多く、有名なものでは「明日のことを必要以上に思い煩ってはなりません。飛んでいる鳥でさえも明日には必要なものは与えられます。・・・」
 最初私は上の内容を「明日は明日の風が吹く。ケセラ セラ 何とかなるさ」と勝手に解釈していたが、聖書は勤労を貴び、「朝は早く起きて日が沈むまでよく働きなさい」とあるし、男は家族を養わなければならないと言う。。そうして聖書に従っている忠実な僕は、祈ることで困難は必ず乗り越えられますと言うような意味だ。
 聖書にお金の話はかなり頻繁に出てくる。一例を挙げると、ある弟子達が旅立つ時、主人にまとまったお金を託される。何年か経て戻った時にそのお金を増やした弟子達は褒められる。しかし主人に預かったお金を減らすと拙いと考え、預かったままのお金を埋めておいてそのまま返した弟子は主人になじられる。利子さえ得ずに全く増やさないのは怠惰で不誠実だと言うことだ。
 これは、キリストの教えを弟子が他の人達へ広めないことへの戒めの例えとして使われている。
 さらにキリストが神殿で悪徳商人の暴利に怒り、商人の展示台をひっくり返すのも有名だ。研究では、売り物は神殿へのお供え物で、何日もかけて遠くから来た人達はお供え物の用意が出来ないので、その人達へ市場価格の25倍ぐらいで売っていたと言う。
 私の少ない知識では、仏教や儒教ではお金のことはあまり記述がないように思うが、どうだろうか。
bX−3 04/04/13
 自由は日本にはある。信仰、職業選択、移動、表現・・・の自由と言う奴だ。その自由を行使したことで、権力の起訴とか逮捕が実行されることは、法律で禁じられている。
 しかし何処の国の法律でもそのような自由権のことは書いてあると思うが、実際には新聞社が閉じられたり、放送局がつぶされたり、人がリンチにあったりと反体制派はだいたいつらい目に遭うことになっている。
 強烈な独裁者がいる時は、正義が曲げられるのはよく起こりがちなことだ。しかし独裁者は突然出てくるのではなく、人々が望むから現れることが多いのも歴史的事実だろう。権力の弾圧とかが少ない国家の方が国民にとって住みやすい国だとは誰にでも言えるだろう。
 体制は、都合の悪いことは蓋をしたい。体制側は、言論弾圧を悪いことだと言う認識は存在していることになる。耳が痛いから反体制派側の口を力で塞ぐ。その時に何とか凌げば、時間は悪事を緩和すると考えるのだろう。
 力関係でいろいろ変化するのも世の常で、私がここで仮に反体制を唱えてもそれが原因でどうこうなることはほとんどない。むしろ逆宣伝になるぐらいがオチとその筋は考えるだろう。
 キリストも当時は反体制派として認識され、処刑されるのだが、彼が復活するという奇蹟によって教えが返って強められて行くことになる。この場合は、「負けるが勝ち」となってしまった。
 私は、戦後生まれなので、日米戦争のことは体験がないが、当時の日米関係の状況が再現されればおそらくまた日本の真珠湾攻撃は繰り返されると言う気がする。
 そう言う根拠は、今の日本でそれなりの生活を送っていて歴史のことを語り、いつも整理されたことについて言及することができるような批評家になっているからだろう。
 古い事件については、人はかなり率直になるようであるのは、いろんなテレビドキュメント番組でもよく見られることだ。今なら言えるというのは、その時は当事者でありながら、状況を適切に把握して正しい行動することが機能してなかったと考えられる。強く自身の利害に関わることだったのだ。勝者も敗者も率直になるのは、勝負が済んだからに違いない。
 未来は誰でも完全に読むことが出来ないので、投資でも改革でも派兵でも合併でも何でも完全にはよく解らないと言うことが解っている。95パーセントの敗者と5パーセントの勝者がいるのが賭博らしいが、賭博でなければ誰でもせめて勝つ確率を70パーセントぐらいにはしたいと考えるのだろう。 
 勝負に出て上手く行ってない時、その為には何をすると良いと考えるのかと言うと、ここでまたさらなる投資、改革、派兵、合併という拡大路線を取るか、方針転換を取るかに分かれる。さらにその中にもそれぞれ選択肢は多くあり結局勝負がつくまでは解らないと言う情けない結果になるのだ。
 人生を賭けるのは避けたいことだが、「勝てば官軍。負ければ賊軍」と言うことで、人はここでどちらにつくか博打を打つこともあるし、運命のいたずらもよくある。
 先ずは勝利目標を示すことが大切だろう。かかった費用や時間、得られた結果等を見ながら、到達点を示すことはできるのではないか。そのために小さな目標を次々達成していけば精神的には良いのかも知れない。
 ごく普通の家庭では、結婚し子供を持てばほとんど自動的に小さな目標が設定されるので、次々とそれをクリアしていくといつの間にか人生のゲームセットになってしまうのではないだろうか。ここで何か意義を作ろうとしても、大抵は失敗になって行くようだ。
 目標設定は家族を持つ良さともいえるが、これからの人には単身生活者が増加すると思うので、何かしら自身で目標を見いだすことが必要となろう。
 しかしこれとて戦略と言うにはほど遠く、私も含めて多くの人は、まさにただ降りかかる火の粉を払うだけの生き方をしているだけかも知れない。 
bX−4 04/06/06
 いつの間にか6月になり梅雨が始まった。4月は陶展の準備に追われ、5月はいろいろあったので、書きそびれてしまった。
 芭蕉からの俳句の陶展で、どの俳句も何だか元気がなくなるような気がする、もっと生きる力の湧いてくるような俳句の作品は無いのか、とお客さんに尋ねられたことが気に掛かる。
 奥の細道からの「夏草や兵どもが夢の跡」「むざんやな甲の下のきりぎりす」等どう考えても、明るいとは言えない。
 仏教は現世は四苦八苦などと苦難を説く。私の今勉強している宗派は、今の時代を「対処しにくい危機の時代」と言い。
 多くの者は、自分を愛する者、金を愛する者、うぬぼれる者、傲慢な者、冒とくする者、親に不従順な者、感謝しない者、忠節でない者、自然の情愛を持たない者、容易に合意しない者、中傷する者、自制心のない者、粗暴な者、善良さを愛さない者、裏切る者、片意地な者、誇りのために思い上がる者、となっている時代と規定している。
 これだけ挙げれば誰でもどこかで当選確実で、とりわけ現代がそうだとも考えにくい点もあるが、お釈迦さんの仏教も古くから、現世は罪を犯さずに生きにくいと説明している。
 明るくて現世肯定の強いイデオロギーも存在していたとは思う。プラグマチズム等は宗教を捨てることによって成り立ってきたように思う。企業倫理などとは倫理と言うが、現実は遵法と言うだけのものにしか見えない。
 かつての王は絶対権力のようなものを持ちそれを制限規制するのに法を整える面もあった。モーセの十戒は自然法だとか習った記憶があるが、現代の道徳最後の砦が法というのはとても良い社会とは思えない。その上法も作るだけでは意味が無く運用、監視、実行となると厳密にはとても難しい。
 多くの人や企業は法律すれすれのことをやりながら、法に咎められない限りのことをする。法の番人でさえ咎める者が無いことを良しとして、自身がすれすれのことをする。
 しかしながら他に適当な制御の方法も思いつかない。万一権力の法による強制力というものを無くしてしまうと、さらなる悪化しか考えられない。
 マスコミが取り上げることによって影響を持たせることも大切かもしれない。可哀想な老夫婦の事件で、悪徳金融にメスが入ったし、交通事故被害者の訴えから飲酒運転罰則の強化もあったのは周知のことだ。
 複雑で例外のある多くの事象を簡単に解きほぐすのは難しいかもしれないが、えい!やっ!とアレキサンダーの刀も必要で、それを持っているかと認められたかのような人がテレビでなんやかんや言うのだろう。
 その人達が何を言うのか世間は待っているような節もあり、その後評価が決定して世論が形成されていく。そう言う私も何人かはそのような人を持っている気がするが、現世の有名人に判断を委ねることほど危険はない。



冨山善夫(とみやまよしお)
都美恵窯(つみえがま)

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