●離々日記(12)

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bQ
02/05/12〜02/06/29 bX 04/02/13〜04/06/06
bR 02/07/13〜02/09/18 bP0 04/08/10〜05/03/25
bS 02/11/08〜02/12/24 bP1 05/05/12〜05/12/10
bT 03/01/07〜03/02/26 bP2 06/01/20〜06/11/13
bU 03/05/12〜03/06/17
bV 03/07/06〜03/09/18

bP2−1 06/01/20
 恒例の年末年始の陶展も終了し、一年で今が一番忙しくない時だ。
 最近は我が家の陶展に来て頂いても飲酒は皆さん遠慮するので、お酒が余り気味になってしまった。今年は日本酒が寒さのせいかなかなか美味しく、つい飲み過ぎてしまう。量は多くはないが、考えると毎日呑んでいる。お医者さんの講演で「酒も女も二ごうまで」と洒落て言われたが、適量を守ることは必要だろう。
 今回はHPにも掲載しているが竹灰を使った釉薬がようやく完成し、その作品を出すことができた。なかなか珍しい発色で苦労した甲斐があったと思っている。
 今年はともかく京都でも伊賀でも雪が多く、例年に比べるとかなり寒い陶展だった。世界的にもそのようで、結局は温暖化の影響が出ていると言う。豊かになることは、エネルギー消費を増加することなので、温暖化は避けられないことだ。
 世界が煙草の価格を上げることによって禁煙者を増やすような状況になってきているが、エネルギー価格を高騰させることによって消費を抑制しようとするのは論理的なことだろう。
 京都の陶展で久しぶりに大阪に出て行ったが、帰りの阪急電車の中ではいつも同じような感想に囚われてしまう。この多くの人は殆ど私と関わることなく、また名前をはじめ生活や家族は知るよしもなく、だけどもちろん私以上に充実した人生を送っているのだろう。
 私はやや感傷的になるのだが、この人々は金の山だと思う人もいるだろうし、互いにかなりの程度孤独なので、しょうもない芸能人のゴシップに、人の持つ他人のことを知りたいと言う本来の欲望を当てているのだろう。
 そう悪く考えずとも、人は基本的に他人を愛したいと思っているのかもしれない。だけどそういう人はお人好しと謂われ、普通はお金を集られて、挙げ句捨てられるのがオチだ。家族なら長い付き合いになるので、与えるお金は生きてくる確率は高いだろうが、それも最近は当てにならないか。
 最近猫を飼いだしたが、小さなペットでさえ信頼感を得るには努力と時間が必要だ。私も過去に何度か信頼を失うような愚かなことをしでかしたが、その責任は全く自分にあると思う。
「自らまいた種は、自ら刈り取らねばならない」と言う聖句だ。
 何か世間を欺いて上手くやっているように見える連中も、時間がかかるが必ず真実の裁きを受けるので、若い人には辛抱の大切さを伝えたい。 
bP2−2 06/06/04
 このHPをご覧になった方はお気づきかと思うが、我々は引っ越ししてしまった。
 今年の2月末までは山国の三重県伊賀であったが、現在は千葉県南房総市白浜で、しかも海の波の音がよく聞こえるぐらいの距離に住んでいる。
 ここに私設の白浜海洋美術館と言うものがあり、そこでお手伝いをすることになったのだ。
 最初は伊賀の陶房と行き来しながらの予定であったが、伊賀の陶房を借りて下さる方が現れ、伊賀とはこれから縁が薄くなりそうである。
 初めて千葉の白浜に住むのだから、私なりの街の印象をこれから伝えたいと思う。
 しかし海の側に住むのは今回が初めてではない。わずか一年ばかりだが京都府舞鶴湾の近くに住んでいたこともあった。
 だがここ白浜は房総半島最南端、外洋に面しているので風の強さは半端ではない。時に立っていられなくなる程の風が吹く。そんな時は近くの野島崎灯台も上ることが禁止され、皮肉にもその時ここの美術館入場者が多くなる。見ているだけだと砕け散る波は迫力があって素晴らしく、凪の時はなんだか物足りない。
 伊賀から車で連れてきた猫のポルは、海はあまり好きではない。風のない穏やかなある日、我々が海岸を散歩していると安心して海の側に来た。
 近くで海を見るのは初めてで、そのポルを観察していると、少し安心して乾いたのか、いきなり海水をペロペロ飲み出した。二,三口飲んだかと思うと、その味に驚き辛そうな顔を見せたので、笑ってしまった。また海で餌が豊富なせいか野良猫が多く、いろいろとポルには大変そうである。
bP2−3 06/08/02
 今年の夏は私には大変化だ。例年は「伊賀焼陶器祭り」に参加していたので、夏は多忙でほとんど海に行くことなどなかった。
 ところが今は毎日、毎日、海を見て五ヶ月となり、海岸は小さな子連れの家族や若者同士の集まりで一杯だ。誠に夏らしい。
 南房総は流石にどのホテルも今は活気がある。日頃アワビなど高いので買わないが、最近人よりがあり、アワビを焼こうと考え、買いに行ったら、売り切れなので驚いた。お店もよく売れているようだ。
 近くにキャンプ場があるが、多いときは2500人も来るそうだ。夏は白浜町と同じくらいの人が毎日来てくれるのだから、ありがたいことだ。
 私の子供時代は、海は町内会で行ったし、毎日は近くの川で遊んだものだ。体操も毎朝あったが、私は寝坊だったのかほとんど参加出来なかった。
 読書も楽しみの一つだった。学校の推薦書などを中心に読んだ記憶があるが、何といっても海洋ものというか、つまりロビンソンクルーソーとか一五少年漂流記などを夢中で読んだ。
 昔から読もう読もうと思って果たせてないのが、夏の定番の「魔の山」で、引っ越しの時にも持参して今は数ページを読み出した。
 でもその文庫本を置いておいたら我が家の猫のポルちゃんに本を囓られてしまった。しかし今年は何となく読めそうな気がする。
 「白浜海女祭り」があった。海女さんたちが松明片手に桶に体を載せて泳ぐものだが、今年は取材が多かったので、聞いたことがある方も多いのではないか。
 その前座に街の人が余興を披露するのだけれど、民謡はともかくとしてハワイアンが多数あったので驚かされた。
 それだけではない千倉というとなり街では今度サンバパレードがあるし、館山では夏恒例の全国学生フラメンコダンス大会があるのだ。 
bP2−4 06/09/01
 夏が終わってしまった。おまけに今日は久しぶりの雨で野島崎灯台前ロータリーのお客さんはほとんどない。
 数日前におとこあま(男性の海女さん)が海から採ってきたばかりのアワビを取引するところをみた。
 おとこ海女が一人乗りの小さな船からそれぞれ獲物を持ってくる。港の中で買い付けの仲買人が目方を量る、記録を取る。黒アワビの600グラム以上はサイズが大と言うことで中でも価値が高いようだ。
 黒アワビと赤アワビの違いは、外側にある楕円形の帯状の肉にやや黒い縞模様があるのが黒で、赤は帯状の肉が全体に同じような色をしていて変化がない。また採取の時にアワビの身に傷の入ったものは傷ものとして扱われる。
 漁獲の多い人少ない人があり、毎日海に潜ってその目方で稼ぐのだから、スポーツ選手例えばプロゴルファーのようなものでなかなか厳しいところがある。
 千倉という隣町で花火があった。町の行事なので田舎周りの歌い手さん達が来ていた。
 以前住んでいた伊賀なら出演者は、演歌歌手か吉本芸人と決まっていたが、さすがはここは首都圏、ロックありJPOPあり歌謡曲ありと彼らの多彩さに驚いた。またあれだけの技量を持つまでには相当な隠れた努力が必要だろう。
 彼らはおそらくそんなに売れてないと思われるのだが、その芸は皆素晴らしい。私には初めてなので興奮してずっと聴いていたが、この辺りの人は慣れているのか集まって来ることはしない。それより花火の席取りが大事と言うところだ。
 芸能界はとても厳しいとテレビで芸能人達はよく言っているが、その片鱗を垣間見ることが出来たような気がした。伊賀に居ては、到底理解出来なかっただろう。
 私が住んでいた伊賀は陶芸では競争が激しく、私も一応陶芸家なので陶器のことは少しは普通の人よりも解ると思っている。日常的に陶器のことに関心は多いが、それ以外ではもちろん普通の一般人である。
 日曜画家の会などもどこにでもあると思うが、ここに来てその巧さに驚いている。老人会のようなものの水墨画でも漁師さん達の描く油絵でも伊賀とはレベルが違うようだ。
 私の陶器の経験で言うと、才能の欠如はある程度掛ける時間で補うことが出来る。確立的に才能の分布は全国均一だと思うから、するとこの辺りの人は例えば絵画でもすごく真面目に時間を掛けて一生懸命やる人が多いのだろうか?
 また素人が優れているにはとても指導者が重要で、ここには良い先生が沢山いるのかもしれない。確かにここは三重県の大王崎のようにキャンバスを持ち歩いている人が多いようだ。
 青木繁がここで絵を描いたのもよく知られているし、伊賀での俳句のように人々にとって絵画が身近で触れる機会が多いのだろうか?
 私も伊賀では芭蕉の俳句からの陶芸作品を作り続けていたが、ここでは何だか絵を描きたくなってきている。カラフルな上絵なども陶器で面白いかもしれない。
bP2−5 06/11/13
 ようやく寒くなってきた。ここに来て初めて秋を過ごすのだが、今まで暖かいので驚いていた。ここには紅葉もないようだ。
 ほとんど毎日飼い猫のポルと灯台周りを散歩している。幻想的な何とも不思議な景色を毎日見ている。
 ちょうど夕日が沈む頃、大きなグラデーションの青の中で西の空が赤く燃え、遠くに大島や利島のシルエットが影絵のように浮かぶ。漁船、貨物船等幾つもの船影の中で、その島々を後ろにして大きな貨客船が定時に海面を滑るように東京方面に移動する。
 その頃には灯台の灯もついてレンズがキラキラと大きな宝石のような輝きを放ちながらゆっくりと回転する。ダークブルー色の空には成田空港を目指す飛行機達が等間隔で音もなく翼の光を点滅させている。海沿いの道路の街灯が夕日の中で暗い道を照らし、その先端は突然切れて海で終わっている。
 だが海岸線のホテルの窓やリゾートマンションからの光は異質で、人々の営みを身近に感じさせる。そしてもう闇が本当に迫ろうとする頃に、ようやく見ることができる小さな一人乗りの漁船が慌ただしく小さな港に戻る。
 今までの私の山村生活には考えられなかった光景で、この年になってさえ何とも例えようのない影響を受けつつあるのを感じる。
 話は変わるが最近「SAYURI」 原題は「Memoirs of a Geisha」 だと思うが戦前から戦後にかけての京都を舞台にした芸者さんの映画をビデオで見た。
 私は青少年期を祇園の近くで過ごした。もちろん映画の戦前時代は知らないが、近くの私も診てもらっていた歯医者さんで、祇園のお母さん達が、近頃の女の子は「すぐに髪を切る。髪を切る」と言って、稽古を一生懸命しないで私たちを困らせると愚痴っていたのを覚えている。
 私が中学三年生の時に青森から転校してきたという女の子がいた。まるでリンゴのような田舎の子供の様子だった。おまけに言葉になまりが強くあるので、ほとんど人前で口を利かなかったと思う。
 しかし私も一年前には伊賀から出てきた田舎者だったので、彼女のことをそれなりに記憶していたのだと思う。彼女と私は共通点が殆ど無かったので、中学卒業して以来音信も何も無かったが、私が三〇歳代の時に偶然南座の前で彼女をちらりと見かけたことがあった。
 とても綺麗になっていて祇園の女性らしい佇まいに驚いた。着物姿の彼女は私のことなど知るはずもなく艶やかに人待ちをしている様子だった。
 私が住んでいた近所にはお妾さんが多く、近所の人が、あの旦那はどこそこの社長さんだとか何だとか噂をしていたものだ。
 つまりあの映画はかなり真実に近いもののように思え、私の中の体験的知識が一気に戦前から繋がったように思えてとても興味深い映画だった。
 ついでの話だが団栗橋という橋が中学校の近くにあって、土日に私服で歩いていると老け顔の同級生が「兄ちゃんいい子いまっせ」と声を掛けられることが、私達の中学時代はよく話題になっていた。



冨山善夫(とみやまよしお)
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