●離々日記(5)

bP 02/03/25〜02/04/27 bW 03/10/25〜04/01/22
bQ
02/05/12〜02/06/29 bX 04/02/13〜04/06/06
bR 02/07/13〜02/09/18 bP0 04/08/10〜05/03/25
bS 02/11/08〜02/12/24 bP1 05/05/12〜05/12/10
bT 03/01/07〜03/02/26 bP2 06/01/20〜
bU 03/05/12〜03/06/17
bV 03/07/06〜03/09/18

bT−1 03/01/07
 ここ伊賀では毎日の夜空が澄み切った空気のせいかとても綺麗だ。いつもなら見られないような星が数多く輝いている。景気も悪く、良い話が少ないご時世なので、星空や天体のことを考えて少しは気晴らしをと思う。
 人は誰でも星空に何かしらを感じるものだ。子供のころ「ベントラ、ベントラ」と唱えたら円盤が現れるのだと友達が言い、京都のビルの屋上で3人で唱えていたことがあった。
 その時運良く人工衛星が現れて、翼がなく塊のような金属物が夕方の西空高くに消えて行くのを呆然と見ていた記憶がある。
 子供ながらそれが円盤だとはやはり信じられず、二度とそのような遊びはそれからしなかった。円盤とかUFOなどは興味を惹かれていたが、手塚漫画の影響が大きかったのだろう。今でもいろんな出版物がそのような記事を載せているが、昔読んだ中には南米ではUFO云々と言うのも多くあったようだ。
 92年にたまたま南米のパラグァイに行くことになり、初めての異国に戸惑っていたころは何もそんなことは思いつかなかったが、少し慣れてきたらそれはそれでどうってことがなくなり、日本にUFOがないように、南米でもないと言うことが感じられただけであった。
 パラグァイの首都アスンションから北数百キロに陶器原料の採集に行ったことがあった。車で一日かけて悪路を行くので、たどり着いたと言う気持ちが強い所だった。
 そこは、空気は本当に澄み渡っていた。村には家は数えるほどでもちろん電気なども来ていない。我々は夕べにそこにたどり着き、しばらく何もすることがなくただ夜になるのを待っていると、南西の方角に向かってキラキラと金属光沢で輝く人工衛星が飛んでいるのを見た。
 スカイブルーの空にキラキラ輝く人工物は肉眼でもかなり近く感じられ、我を忘れて見とれていた。ここは南米だったのだと改めて認識し、周りの人にUFOのことを尋ねたが、もちろん日本で聞くことと答えは同じであった。
 チリに社会主義政権が出来た時、アメリカ合衆国は焦って軍事的な目的でパラグァイに飛行場を作った。原料採集の地からそう遠くはないところにそれはあって、周りに軍事施設と呼べるようなものはほぼ何もなく、ただコンクリートの広大な滑走路が平地の中にポツンとあるだけだった。
 帰り道にそこを通ってので見に行くことにしたが、私のころには無用の長物と化し、ある人は地下基地があるのだとか言っていたが、かなり長い滑走路を車で飛ばしながらこんな勿体ないことと思った。戦争は本当に高くつくものだ。
bT−2 03/02/05
 年末に隣で不幸があって、12月31日がお葬式であった。ここらは葬式を組で仕切るので、それはなかなか大変なことだ。
 私もここに住んで30年近くになるので、何回か組でお葬式を挙げた。もちろん歳の順に亡くなるとは限らないので悲しい別れもあったが、ここに住んでからの組11戸の人数の増減を数えると亡くなった人が9人で、誕生したのが15人ということになる。
 でもここからお嫁に行ってお産した子も数えているので、実際に住んでいるとなると5人に減ってしまう。すると増減は−4人となるので、生活感から言うと適切な数字となるのか。
 かつて自分が思っていたような変なおじさんに自身がなってしまい、若者との交流はそうなく、まして学童の子とはあまり話すこともなく、つまり比較的親しい人が逝ってしまう状況となっている。
 これが歳を重ねることかと観念しているが、なかなか下り坂であることを認識できない自分がいる。
 歴史を学べばすぐに解ることだが国にも人生のような栄枯盛衰があるのは必然と言えよう。  若い頃は政治的なことに興味があって体制に向かうと言う行動も執ったが、それも歴史の流れのようなものであった。
 その大きな流れに立ち向かうようなことは誰にも出来ず、図らずも語り継がれる歴史そのもののような近代国家日本の興亡を私がここで見られることには、結構喜んでいる。
 日本はこれからしばらくは農業国として立ち直るしかないと思う。環境を浄化して国土を守り、来るべき食料輸出国となるのが残された道だろう。未来はデンマークに学ぶべきか。また機会があれば何方か教えてください。
 最近ADSLにして接続料のことが気にならなくなったので、いろんなサイトを覗いている。
 初めてオークションにも参加して、多くの人が700円以内で買っている物を2000円も出してしまった。運送料も800円が別だったので、高い買い物をしたことになる。
 少しは気になってそれから入札価格価格を見ていると、なかなか面白い現象があるのが解った。私の作品等もオークションに出せるのだろうが、今のところあまり気が進まない。
 買い物もネット上でするこがさらに増加するのだろう。静岡茶を買ったが、店主の丁寧な応対を受けて、普通のお店で買うよりとてもよい感じを受けた。私も見習うことが必要だ。
 でも市場は羊頭狗肉、陶器の商品もあちこち宣伝でいい加減なものも多く、それはどこでも玉石混合なのでしょうがないのだろう。
 私共の窯製品の真価は、作る側の思いと判定するお客さんの目はかなり違っても、ともに真実であるのが現実だ。ローマは一日にして成らず。
bT−3 03/02/26
 恒例の年末年始の陶展が終了して、今はもうすぐに3月になろうとしている。
 特に何をしたというわけでもないのにいつの間にか時間が経ってしまい少し焦ってきた。季節的に仕事がはかどると言うことはないので、毎年このころは土に触ることが減る。
 友人がタイに住んでいたので2000年の今頃彼らのバンコクのアパートに連泊したことがあった。日本企業の進出が多く、日本人は多いようだ。陶芸教室がいくつかあるらしく、それを裏付ける。
 バンコクの人口500万人とかの交通緩和のために出来た高架の電車はとても綺麗でよく利用したが、トゥクトゥクという三輪バイク車は金銭上の問題が多い。
 安くするというので乗ると、関係のない服や宝石のお店に連れて行かれそうになった。これは儲からないと考えたのか、「ガソリンが無くなったのでここで降りてくれ」とよく解らない場所で降ろされてしまった。バスで何とか帰ったが、途中でお寺の中にあるキックボクシング道場に連れて貰ったので、それは興味深かった。
 しかし、そのお寺にまるで我々が来るのが解っていたように、怪しげなしかし日本語の達者な若者がいて、親切そうにいろいろ話しかけて来た。ホテルなどを世話しようとしたようだが、連泊
させて貰っていたので、難をくり抜けた。旅行ガイドに書いてあるままの怪しさだった。
 また驚いたのは、人間バイク便だ。つまり後部座席に人を乗せて運ぶものだ。ある程度の許可を受けているらしくライダーは皆ゼッケンを付けていたが、ヘルメットを被るとはいえ凄いの一言である。
 しかしながら、どこの途上国でも半失業者達がいろんな乗り物を用意するのであるから、日本でも各種導入出来ないものだろうか。私などタクシー代の方が飲み代より高くつくような所に住んでいるので、それは単に私が貧乏だと言うことに過ぎないのかもしれないが、つい外で呑む機会が減って困っている。
 最近めっきり日本酒が売れないというが、田舎では日本酒消費が相対的に多いと思うが、この飲酒運転の罰則強化で、田舎での消費が減っているのが大きいのではないだろうか。
 タイは仏教に基づくものが多く、仏像、寺院はおびただしいものだ。各人も小さな仏さんをお持ちのようで、凄い小佛カタログ誌があるし、電車の中で同じようなカタログを見て研究している若者には驚かされた。もちろん佛さんと小厨子は別々。アフガニスタンのタリバンが偶像崇拝を戒めるために、歴史的遺産の巨大石仏を破壊していたときにも、タイ政府はいち早く抗議していたようだった。
 日本よりかなり安く新作映画が見られるので二度ほど映画館に行ったが、国王の映像が最初にあって、全員起立は私には突然だった。旅行会社の宣伝映像の中で、孝行息子が母をニュージーランドの雪を見せに連れて行くのがあったが、先ず親孝行というタイの常識に日本では失われたような健全さを感じたが、ただ経済成長面のタイムラグで以前は日本でも同じだったかも知れない。 
 料理はとても美味しいが慣れてくると皆同じような味付けなので、少し飽きてくるところもあったが、日本ではいつも田舎住まいなので、バンコクの大都会を楽しんだ。



冨山善夫(とみやまよしお)
都美恵窯(つみえがま)

陶房
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