●離々日記(2) |
bP | 02/03/25〜02/04/27 | bW | 03/10/25〜04/01/22 |
bQ | 02/05/12〜02/06/29 | bX | 04/02/13〜04/06/06 |
bR |
02/07/13〜02/09/18 | bP0 | 04/08/10〜05/03/25 |
bS | 02/11/08〜02/12/24 | bP1 | 05/05/12〜05/12/10 |
bT | 03/01/07〜03/02/26 | bP2 | 06/01/20〜 |
bU | 03/05/12〜03/06/17 | ||
bV | 03/07/06〜03/09/18 |
bQ−1 | 02/05/12 |
これを読んで頂いている平均的な読者よりも私は少し歳を繰っていると思うが、自分を省みて本当に知らないことがたくさんあるので驚かされることが多い。 私自身の無知をさらけ出すだけなので、知っている人にはつまらないと思うが、例えば「汝の敵を愛しなさい」というキリストの言葉は、それは日本語に翻訳されているわけで、原義により忠実には、「汝の敵を認めなさい」に近いという。 最初にその言葉に触れた若い頃には「敵を愛せ」とは、随分難しい宗教だなあと思っていたが、「認めなさい」ならできるかもしれない。 さらに「左の頬を打たれたら、右の頬を出しなさい」は、「無抵抗に殴られなさい」ということではなくて、「頬を打たれる」というのは侮辱されることなのだそうだ。映画で決闘前のそんなシーンがよくある。 つまり「信仰ゆえにあなたが侮辱されることはあるだろう。しかしその侮辱に耐えて信仰を貫きなさい」ということなのだそうだ。こちらの方がやはり解りやすい。こんなことでも最近知ったばかりだ。 最近、我が町の区長さん宅22軒全てを訪ねる機会があった。田舎の区長とは都市部の自治会長をやや強くしたようなものだと思って欲しい。 私は此処伊賀町に20年以上も住んでいるのにほとんど初めて行くような区域もあり、人口1万人ほどの小さな町なのに知らなかっただけでは、少し後ろめたい気がした。 その上ほとんどの区長さんのお家がとても立派なので驚いた。またその家だけが際だっているのではなくて、たいていその近所の家も同じくらいのレベルなのである。 具体的にいうと建坪がおよそ80坪ぐらいで、おそらく建築坪単価が70万円前後だろうから、ざっと6000万円ほどのお家に住んでおられるということだ。もちろん土地代は入ってない。 確かに伊賀ではピアノの普及率も全国平均から抜きん出ていると聞いたことがある。伊賀上野市は人口が3万人台なのにも関わらず証券会社が2社もあるのはかなり珍しいとか、伊賀では、皆さんお金持ちなのである。 家族一人一人はそう高給ではなくても、食料は作っているし、一軒で家族3人ぐらいは外で働いていて収入がある。お家にホームバーや麻雀室が備わっているのもそう珍しくはない。 しかし、田舎ではなかなかマイペース暮らしは難しい。隣近所に見栄を張って同じような大きな家を建ててしまったケースもあるらしい。 東京の履き倒れ、大阪の食い倒れ、京の着倒れ、「伊賀の住み倒れ?」 |
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bQ−2 | 02/05/22 |
最近ある壮年会の集まりでパラグァイの話をした。98年にパラグァイに住んでいた体験記「世界はワシらを待っている」を上梓したので、それ以来私の中のパラグァイは不活性状態であった。帰国してから既に7年も経つので最新情報を見ようかと思い、このサイトでもリンクしている「パラグァイに行こう」を調べた。 思っていた通りそう変わってはいなかった。現在のパラグァイの最低賃金は月250ドルで、しかも国民の半数はそれ以下だという。安心したというか悲しいというか、なかなか大きな変化というものは難しいものだ。 今まで何度かパラグァイの話をする機会があったが、よく知っていると思っている伊賀のことでも知らないのに、他所の国のことを適切にうまく伝えるというのは非常に難しい。確かに実際に行って見たり体験することがいいとは思うけれど、それだけでも全てとはもちろん思えない。 作家自身が経験してはいないけれど、臨場感を持って殺人事件を書くようなこともある。自分の心に刻むためには相応の対価というか情熱を注ぐ必要があるだろう。 パラグァイのことで未だに記憶として強く残っているのは、元日本軍捕虜のことだ。彼は幼少のころオランダ人の両親と共にインドネシアに住んでいた。そこで第二次世界大戦が始まり日本軍の捕虜になった。 彼は当時60歳代で、職場の同僚職員の大家さんだった。とは言っても小さな家の一室を彼が占有し、残りを職員家族に賃貸していて、彼は独り者であった。職場の人に食事を招待された時、彼は私を日本人だと知ると、幼少時代に覚えてしまった日本語「きおつけ!なおれ!番号!いち!に!・・」を、少しは懐かしそうに私に投げかけた。 私は反応して彼と少しは会話をしたと思うが、ありったけの日本語を使うと、また大音量のラジオの世界に戻ってしまった。同僚は「彼は寂しいのだ」と私に説明した。 どういういきさつからパラグァイに流れ着いたのか知らないが、苦難の人生を歩んだのには違いない。こんなところにも日本軍の痕跡を見つけることが出来て、全く驚かされてしまった。どんな戦争でもするものではない。 現在ただほんの少し憶えたスペイン語を忘れないようにと細々と勉強は続けている。今ここで学習しているスペイン語はいわば標準語で、南米スペイン語は同じスペインのセビジャ地方の方言がルーツなので英語ほどの地域差は少ないとは言われているが、日本標準語と関西弁のようにやや異なっている。 フィリピンのタガログ語にもスペイン語は影響を強く残している。それに比べればささやかだが伊賀焼の「ビードロ」というガラス質で緑色透明感のある釉薬の名称は、スペイン語の「ビドリォ」という、その意味は「ガラス」から来ているものと思う。 それでも外国語というものはネーミングに良いのか、メキシコで作っている日産「サニー」は現地メキシコで「つる」という名前だったし、日本の日産「プリメーラ」はスペイン語で「一番」という意味だ。 ところで伊賀の上野市にワールドカップで南アフリカが5月24日から27日までキャンプする。そして韓国でパラグァイと第1戦を6月2日に戦う。日本になじみのない両国でもサッカーのおかげで少しは名前を憶えてもらったようだ。 |
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bQ−3 | 02/06/07 |
陶器作りに忙しいと毎日が単調になり、一日の過ぎるのが早い。夏の伊賀焼陶器祭りと妻の実家のある美和村でのお盆の陶展があるので、焦っている。 おそらく皆さんが思っている以上のあきれる程の時間が陶器作りにかかっている。 私どもの陶芸教室に3年も通っておられる熱心な生徒さんは、最近になってようやく陶器作りにはとても時間がかかるのを、認識された。。 ある東京のお金持ちの奥さんで色んな教室で様々な手作りを学ばれた方が、陶器作りは今までで一番割に合わないと言われたことがあった。 陶芸家は大概貧乏で、割に合わない仕事だと自身感じていると思う。パラグァイにいたときも職場の同僚が弟に中古車ビジネスを一緒にやろうと誘われていて、随分考えていたことがあった。陶器の仕事はロマンティコだけれど、金を儲けるという点に於いてはと言うのだ。彼はパラグァイの国家公務員なので、結局安定を選択したのであったが、南米の公務員ですらそう思うのである。 バーナード・リーチと言う英国の著名な陶芸家が日本の陶芸家に弟子入りした時も同じようなことを言われたそうだ。しかしリーチ氏が偉いのは「でも何故そうまでして、陶器を作るのか?陶器を作るのは、実はかなり面白いのではないか」とか言って、陶芸家になってしまったと言うことだ。 話は変わるが私の好きな聖書にも土器師の記述は多く、農業と同じくらいの昔からの職業であったことには違いない。例えとして、何の価値もない土の塊から、素晴らしい土器師の技は優れた物を生み出すように、神のみ技によって世界は造られたと何度も記述されている。 現代の科学は「土器師」の造った作品の分析ばかりをしているだけで、何故それをどのように造られたかを、土器師自身に尋ねることが欠けているのではないかという。つまり作品を見て後から他人が謎解きをするよりも、謎があるのなら直接造った人に聞きなさいということで、自分がこの職業の端くれにでもいるので、すごくよく解る例えである。 サッカーを見ていても非人間的なロボット同士の対戦でないことはよく解る。感情があって道徳心を持ったスポーツマンのルールに則った戦いで、其処にある種の宗教観を見ることができるのではないだろうか。 |
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bQ−4 | 02/06/16 |
最近はワールドカップの話で持ちきりだ。かく言う私も6月12日に大阪長居スタジアムでイングランド対ナイジェリア戦を見に行った。 切符は随分前に郵送で申し込んだもので、入場の際ID確認するとか聞かされていて大層なことだと思っていたが、結局普通にチケットを見せるだけのあっけないものだった。 もちろんワールドカップは初めての観戦で、ともかく早く行った方が良いと聞かされていたので、3時間ぐらい前から席に着いた。しかしスタンド前のイングランド応援旗はもう既に設置完了していて、手回しの良さに驚かされた。 これも全く知らなかったが、前座があった。今をときめくジャパニーズソウルの綾戸千絵さんとコブクロという大阪出身の元ストリートミュージシャンの二人組だった。 応援者がいろいろコスチュームなどに工夫を凝らしているのを見たり、何かざわざわしている中に居て、いつの間にか時間が経ってしまう。 観客の5万人弱のほとんどはイングランドのファンで、日本人もほとんどがイングランドの応援団であった。そのうちの少なくとも5千人ぐらいはイギリス人のようであった。日本で一国のまとまった人をこれだけ見ることはない。それだけでも画期的なことだ。少ないが同じようにまとまったナイジェリアのサポータも緑で包まれていた。 イギリスに留学された人の話だが、日本人が見ると恥ずかしくなるような歪められた日本人が出てくる人気番組がイギリスにあるという。イングランドサポーターに直に日本を知ってもらえるのはとても良いことだ。 他チームの応援の様子は私は今までテレビで見るだけだったが、イングランドの応援はずっと声援が絶えることなく特に素晴らしかった。日本チームの応援と比べても変わらないぐらいだ。 長居など私にとっても初めての地だが、応援でくたくたになったのかイングランドの連中が、少しの空き地でビールを売っている臨時カフェに集まって余韻を楽しんでいたのが印象に残った。 こんな伊賀の田舎でもサッカーに浮かされていて、上野市の銀座通りの夜はいつも以上に人通りはない。6月から飲酒運転の罰則が強化されたのと相まって飲み屋には閑古鳥が鳴いている。近所のオッサンは日本の勝利に酔って、本当に焼酎で酔っていた。 |
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bQ−5 | 02/06/29 |
最近不況のせいか伊賀でも軽犯罪が多く、友人宅の煙草自販機がもう何度も壊されたという。ついに保険会社もあまりの回数の多さに保険終了を宣言したという。 彼が言うには、ある被害にあった日、警察に電話すると、「今日は空き巣が三〇件もあって、忙しいので・・・」と言われたことがあったそうだ。ここは県境に近く奈良、滋賀、京都とすぐに逃げられるので犯罪が多いのだとその友人は推測する。 ある雑誌で読んだが、かつてイギリスで重罰主義というのがあって、ハンカチ一枚とかパン三個とか盗んだだけで長い懲役あるいは死刑などという時代があった。時により罪が一等減じられて島送りとなり、オーストラリアなどに送られた人が多かったと言う。 結局、重罰主義では犯罪を取り締まれないと言う認識が広まり、イギリスなどの福祉政策が始まっていく。あるスイス人と昔話したことがあったが、日本は社会状態が百年遅れていると言っていた。 私の住む伊賀の農村部では特に横並び意識が非常に強く、ともかく皆と歩調を合わせることがとても大切なのだ。意見を公衆の面前で述べるのは、意見があるということだけで大変な事態なのである。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんにそういって聞かせられて来たので、今でも意見を持たねばならないという変化をなかなか受け入れられないのだと思う。 会社員にも同じような風土があるのではないだろうか。権利や義務について学ぶ機会や良い具体例を持たないので、結局農家の意識とそう変わるようには思えない。 こどもがちぐはぐな履き物を履いていたのでその理由を聞くと、こどもの父母がそれぞれ草履とか下駄とか違うものを履いて行きなさいというので、どうしてよいか解らず、二人の言い分を聞いてちぐはぐなものを履いていると答えた子供に、感心な子じゃと褒美を取らした昔のお殿さまのことを聞いたことがあるが、現代でもそんな調子ではありますまいか。 大学の専門家でも意見を言わずにおとなしくしていれば、そのうち順番が回ってきてそこそこの先生になれるからこそ、石器捏造のことでも誰も何も正面きって言わない。学問の世界でさえ真実にはこれだけ時間がかかる。 それも元を糾せば貧しさからの防衛だと思う。何時の時代でも貧しい人は意見を述べて嫌われたら其処での生活に支障を来すのは明白だ。つい最近まで日本は貧乏だったので、なかなかスイスのようにはいかないということか。 でも若者にフリーターが増えてきたのは、この従来の意見を言わない人が良いことが、豊かになった若者には苦しいのではないだろうか。はっきりしないからもやもやした社会への不信感だけが澱のようになって貯まり、解りやすいワールドカップなどに夢中になってしまうのではないか。 今からでも遅くはない。議論を戦わすのが大切だという教育を始めなければならない。 |
冨山善夫(とみやまよしお)
都美恵窯(つみえがま)
陶房
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