●離々日記(10)

bP 02/03/25〜02/04/27 bW 03/10/25〜04/01/22
bQ
02/05/12〜02/06/29 bX 04/02/13〜04/06/06
bR 02/07/13〜02/09/18 bP0 04/08/10〜05/03/25
bS 02/11/08〜02/12/24 bP1 05/05/12〜05/12/10
bT 03/01/07〜03/02/26 bP2 06/01/20〜
bU 03/05/12〜03/06/17
bV 03/07/06〜03/09/18

bP0−1 04/08/10
 今年は局地的雨が多い。温暖化の影響と言わざるを得ない。今はIT化が進行しているのだから、もっと省エネを真剣に考えたい。私などもっぱら経済的な事情から強いられ省エネを実践しているのだが、企業が派遣社員を多く採用するのもその一環とも言えなくもない。
 人は利己的だから、質素な生活は良いものとは言いながら、自分の所得は多い方を好む。建前と本音、義理と人情という奴だ。
 私の職業など、良いものが欲しいと言う人達によって支えられているのだから、皆がお金を使わない省エネ生活を実行すると立ち行かなくなる。
 自身の窯を考えると省エネという点では、少量生産かつ高付加価値なので時代にあって合格しているように思うが、消費者から見るとただ高いだけかもしれない。
 昔読んだ老子の本で「逆は真なり」の言葉があった。「最も弱いものが最も強い」だったか、人類の行く末を考えるとそう思うこともある。便利になった、人の力は強くなったと思いがちだが、電気、水道、通信などのインフラが破壊されると現代人は脆いものだ。その点文明の恩恵に浴してない原始的な生活をしている人は、その遺伝子を残すことには勝利者となるだろう。
 でも未来予測は難しい、災難となると偶然が関係するので先は全くわからない、キリストが神についての話をしていた頃、「神は無慈悲にも民を傷つける人身事故を起こすのか」と詰め寄られたことがあったが、実際にあった過去の大事故のことを引いて、事故は誰にも予見できないとキリストは諭した。
 話は変わるが7月末の三重のやきもの展会場で、何人かの人に私のHPを見たと言う人から声をかけて頂いた。HPは一方的に発信しているだけなので、何人かの人に声をかけて頂いたので嬉しかった。
 日記も更新が少なくなってきたので、現在少し余裕が出来たので入力している。昔一度だけ本を書くチャンスに恵まれ、その時書いているときはとても楽しかったことを覚えている。
 このささやかな日記も書きながらその世界を築いている時は、陶器作りとは違う制約の少ない中での作業なので、面白い。
 しかし何でも可と言うことは難しいことでもある。陶器は設備で能力が決まるような面もあるが、文章を入れるのには簡単なパソコンでことがたる。ここで戦うには相当の個人能力が必要だ。
 この伊賀にも定年退職されて陶芸を趣味にされる方が増え続けている。スポーツの世界ではプロとアマでは環境が異なるが、この世界ではきわめて曖昧で線引きは難しい。
 まあ早く言うと陶芸はそう難しくないと思われているのだ。陶芸家が伊賀で増え続けていることも事実で、「伊賀焼陶器まつり」でも激しい競争に晒されている。
 しかしながら業界のためには良いことかもしれない。私もプロの末席に座る一人として認められる作品作りに励みたいと思う今日この頃である。
 
bP0−2 04/09/02
 今年の夏は暑かった。オリンピックのおかげで、夏はいつの間にか過ぎた。
 ごく最近随分久しぶりに京都の中心部を歩いた。デパートも営業時間が長くなったせいか時間中に展示替えをしているので驚いた。今までは客が帰ってからと記憶にあるのだが。
 繁華街は少し風俗店が増えたかなと言う気がしたが、そう大した変化はないようだ。
 伊賀から撫子japanの女子サッカー選手が二人も出ていたので、特に応援に力が入った。宮本選手は同業の陶器屋さんの親戚でもあるということで、陶器まつりでもユニフォームにサイン入りで宣伝させて貰った。しかしサッカーは男子共々後少しという点で、とても残念だった。
 私が3年間住んでいたことがあったパラグァイは、肝心の点取り選手が決勝戦で出場停止だったので、アルゼンチンに負けてしまったが、これでパラグァイの名前はやや知られるようになった。
 私が南米に住んでいたことを知っている人から、今までは南米としか言わなかったのに、パラグァイは強いのですねと国名を言われたからだ。
 私は相撲も好きだが、オリンピックには彼らのプロスポーツとは違った真剣さ、どのような競技でも選手のひたむきさが伝わり、私に馴染みのない競技も見ていると引き込まれるものがある。真剣勝負の力を感じた。利害だけで動いているような、表と裏のある日常環境からは感じることの出来ない感動をもたらすことは解る。
 スポーツ観戦は大衆娯楽であり、多数が集まることで危険な側面を持っていることは中国人の反日感情の噴出でも感じた。豊かになって楽しむ選択肢が増えただけなのか、人の持つ闘争本能を満たすのか、いろいろな側面を持っている。
 これでローマ時代は民が夢中になり、国力が萎えていったのだろうか。そう重大なことではなく、家に帰れば何でも無いということだろうが。
 射撃でほとんど金を射程に入れていたのに、最後の一発を間違って隣の的に命中させて、得点が0点となり、金を逸した選手というのはとても印象に残る。男子マラソンはブラジルの選手が1位だったのに妨害されて本当に気の毒だった。
 パラグァイは今回のサッカーでオリンピック初めてのメダルを獲得したと言うが、もちろん参加は初めてではない。日本のパラグァイ協力隊の隊員が96年のスペイン大会にパラグァイ選手のコーチとして参加したことがあった。
 オリンピック選手村で日頃貧しいパラグァイ選手がつい食い過ぎてしまい、体調管理が出来なくなり、日頃の成績さえ出せないことが多いと聞いた。貧しい国からの参加者はそんなことさえハンデになってしまう、笑うに笑えない話だ。
 今日は夜になって急に寒いく感じる。23時現在で温度計は20度を指している。台風が去って秋を連れてきたようだ。
bP0−3 04/10/10
 昨日は台風の通過で風雨の強い一日だったが、今日はさすが特異日、晴れ渡った一日だった。今年は台風の当たり年で、三重県は毎年よく直撃されるが、今年の被害は甚大だ。
 我が家はアルミサッシ窓で、雨戸がない。いつかの台風では近くの木々がなぎ倒され、聞くところによると伊賀では風速50メートル以上だったそうだ。その時吹き飛ばされたトタン板で首を切って、近くの若者が亡くなった。
 その時家の雨戸が無いので、とても怖かった。窓ガラスが風の力で内側にしなってくる。あわててガムテープを十文字に貼り付けた。内側に障子が入っているので、障子とガラス窓の間の空間が緩衝材となるのは良いが、ガラス窓に風が当たると障子も内側に膨らんできてガタガタ音を立てる。つまり部屋の中がガタガタ、ガタガタと揺れる。
 外階段は風雨をしのぐためにトタン板を側面にも付けている。ビスで止めているだけだから、一定間隔距離があるので、トタンがあたかも太鼓の革張り状態になっている。
 風の弱い普段は何とも無いが、強力な風圧で押されると金属版なので戻ろうとする。その時のドンドンという音は本当に生きた心地がしない。トタン板を両端に持って、凹凸を繰り返すとビッコビッコと音が出るが、そのようなものだ。
 障子がガタガタ、トタン階段はドンドンと脅されるが、東側にある小さな窓には緩衝作用のある障子がない!風圧で内側にプラスチック下敷きが曲がるように湾曲した窓を必死になって内側から台風通過まで押さえたこともあった。
 最近は地震だ。9月上旬に2度あった震度5の大きな地震は、綺麗に並べていた陶器をともかく落ちてなるべく割れないようにと、見た目を次にして配置変えしてしまった。
 昔メキシコに行ったときにそこに住む母親が、息子は地震国日本にいるのでとても心配と言っていたが、そのころは北海道で多発していたと思う。それが遠くメキシコでもニュースになっていたのだろう。
 その時は心配ないですと母親に請け負っていたが、台風は来るのが解っていてそれなりに覚悟は持てるが、地震は急だから難しい。それで最近は、棚などが倒れないように固定したりの対策はしている。
 窯を持った当時一番安く建てられる家が鉄骨トタン屋根だった。でも今となっては耐震建築とも言えるか。
 増築した屋根がネジで留めてあるのでこれは強いだろうと安心していたら、瓦屋さんにネジがさび付いて力が弱まると風で一気に捲れ上がってしまうと脅され、あわてて錆止めペンキ塗りをした。
 我が家の南に川が流れていて、地元の人は大川(おおかわ)と呼んでいる。でも幅は広くてせいぜい10メートルぐらい、しかし一級河川で柘植川の名が付いている。
 私が子供の頃は、ここでよく泳いだ。そして魚を捕ったりして、ここが遊び場の一つだった。時代の発展と共に川はあまり顧みられなくなったが、最近は下水道が完備してきたので、随分川はきれいになってきた。
 蛍も飛ぶようになった。私は只の一度しか見なかったがカワセミもいた。夏には鴨(マガモかカルガモ)も飛んできてしばらく居着いていたこともあった。
 ごく近くにある川なので、散歩がてらに橋の上から水面をよく見るのだが、ここ何度かの大雨のせいで大きな黄色っぽい鯉が泳いでいるのには驚かされた。どこかの池から逃げてきたのだろう。近所の子供と一緒に鯉を見ていたら、その時にまた初めて亀が泳いでいるのも見つけた。小さな川でもなかなか面白い。
 最近本を読むことがめっきり少なくなり、何とか時間を作ろうと思っているのだが、難しい。大した生産もしてないのに何故時間がないのかと考えるが、どうも「貧乏暇なし」を実証しているようだ。でも感動した語句に出会った。
 「自分を愛してくれる者{だけ}を愛したからといって、あなた方に何の報いがあるでしょうか。収税人たちも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟たちにだけあいさつしたからといって、どんな格別なことをしているでしょうか。諸国の人々も同じことをしているではありませんか」。マタイ5:46、47
bP0−4 05/01/06
 お正月は陶展を開催中なのだが、お客さんを待つ間テレビでDVD、レンタルビデオ等の映画を見ることが多くなる。多くはアメリカ映画になるが、あまり面白いものがない。
 日本で見るアメリカ以外の映画は厳選されているからか、かなり面白いものが多い。「神の街」というブラジル映画は誰が役者か素人か解らないぐらいにドキュメント タッチで、リオ デ ジャネイロの貧民街住民の生活実態のようなものを知ることができた。
 私も隣国のパラグァイに住んでいたせいでブラジルにとても関心があり、私たちが住んでいた頃もリオの子供達の悪さぶりは聞かされていたが、映画のおかげで少しはその原因のようなものを知ることができた。
 ブラジルのホテルに泊まったことがあった。フロントに貴重品を何の疑問も持たずに預けたが、それがかなり危険でむしろ自室で保管する方が安全だと言うことを聞かされた。
 ブラジルではディスコなどは深夜からオープンするのだが、何故そんなに遅いのかと疑問を持っていた。それは、終了して店を出る頃、暗いと危ないので、その時間帯を明るくするために深夜オープンだと知ったのは、パラグァイに住んでからかなり経ってからであった。
 サンパウロに行ったとき、ぶらぶら歩いていてある地下鉄駅側の公園に近寄った。公園には無職の怪しいオッサンが山のように固まっていて、我々を見つめる。道路には警官が数名立っていて、彼らをじっと監視しているのであった。さすがにその異常さに気づいてそこを逃げ出したが、昼間だったので何とか助かった。
 日本の常識では、ブラジルの危険度は解らない。
 私は世代のせいか今まで映画と言えばアメリカと決めつけていたので、なんだかそれ以外のものを敬遠していたが、これからは積極的に見ようと思う。
 しかし今の米国映画はできが悪い。スティーブン スピルバーグ、ウッディ アレン、クエンティン タランティーノ等は期待を裏切らないが、ごく普通の公開映画は私にとって時間の浪費としか思えないようなものが多い。
 なぜこれほどアメリカ映画がつまらなくなったのか。感動の名画を選びなさいとか言う特集でも「市民ケーン」とか「カサブランカ」とか古いものばかりではないか。
 企画も安易な気がする。二番煎じは当たり前、それでも駄目ならヒーローの合体作かリメイク。その上日本映画のリメイクなど一体アメリカ映画はどうなっているのか。
 くだらない内容のものを見ていると多くは協賛映画だ。軍隊は圧倒的だがNASA、宗教などもあるようだ。興行的には安定するのかもしれないが、くだらないものが多い。
 当たり前のことだが購入価格が安かっただろうと思われるものはこれまた期待を裏切らない。日本の電器メーカー会社で大手でないところの輸入米国映画商品は、これまた時間の浪費確実となる。
 どうやら子供の学力低下の日本ばかりでなく、映画産業という追随を許さなかったアメリカという国の崩壊が始まっていると思わざるを得ない。
 世界のニュース報道番組でイラク戦争から始まり、スマトラ沖大地震被害の報道まで見ていると、各国の報道スタイルが様々で興味深い。
 中国は自国がいかに救援活躍しているかのみ、フランスは困難に団結しようと、ストライキの好きな国民性が良く出ている。イギリスは被害の全体規模を把握しようと客観性に重点を置いている。スペインは映像で悲惨な状況を説明しようとカメラアングルなどに特徴が出る。アメリカは自国中心で中国に似ているが、軍隊などを動員して活動的なので、映像などは多様である。
ドイツは印象が薄いと言うか日本に少し似ているかも、私があまり覚えてない。日本は視点がきちんとしてなくて、かなり情緒的である。
 しかし様々の報道スタイルのおかげでことの重大性がスムーズに伝わり、各国が協力しあっていく態勢が作られていくのは良いことだ。
 悲劇的な災害だが、これをきっかけに21世紀に相応しい世界が再構築されることを望む。
bP0−5 05/03/25
 パスワードを忘れまいと自分でノートに書き込んでいたのにも関わらず、入力間違いが何度も出る。
 アルファベットがややこしい。CcEeIiKkOoPpSsUuVvWwXxYyZz等は、大文字小文字の区別が難しい。数字はいつでも半角を使うようだが、数字の0とアルファベットのoO、数字の1とアルファベットL小文字のl、アルファベット大文字のI等はよく間違えてしまう。
 おまけに暗証番号は表示が出ないので、訂正して何を打ち込んだか解らなくなってしまう。今まで銀行の暗証番号のように、何度か打ち込んだらアウトになるという設定はなかったから良いようなもの、えらく時間がかかったことがある。
 年のせいで文字が見にくいから、何度も間違えるだけかも知れないが、何とかならないものだろうか?私のような経験をした人がきっと多いと思うのだが。
 最近ついに携帯電話を買った。いろいろ必要かなと思い買うことにした。auのsony社せいのものだが、いろいろマニュアル解説を見ていて便利だと思った。
 特に私は今まで製造が10年前以上の電子手帳を使っていたので、携帯でそれがスケジュール管理として使えることを知り、画面も明るく入力もしやすいので、喜んでいる。
 今まで外出時は何となくデジカメを持っていたが、これもカメラ付き携帯で足りることとなった。つまり電子手帳とカメラを持ち歩く必要が無くなったことになる。
 料金はともかくメール送受信やホームページも見られるので、携帯電話は、小さなパソコンのようだ。これは良いと思い感心しながら試していると、なるべくプライバシーを守りたくなって、auのsony社ではロックbニいう言葉になっているが、当然これも使いたくなる。
 最初は発信制限、メール制限、アドレス帳制限等とか全ての項目にロックを掛けていた。自分で使う時にロックb入れるだけだからそう面倒なことはない。
 娘から携帯に電話がかかってきた時、家の古い固定電話のつもりで「○○か?」と名前を尋ねると、彼女は不思議がる。必ず携帯には名前が出るはずだと言う。おかしい。番号しか出ない。携帯の番号など覚えてないので、番号表示だけだと誰からかさっぱり解らない。
 これは困ったことだと、携帯電話をいじくり回してついに原因が解った。アドレス帳にロックを掛けていたので、名前の表示が出ないようだ。解除すると番号と登録してあるアドレス帳からの名前は表示された。
 アドレス帳を開示するのが嫌ならシークレットモードにするのだそうだが、これは解除が何となく面倒なので、断念した。
 すると、今のところのセキュリティは、第三者が手にすると外部に簡単にアクセス出来ない、つまり勝手に電話できないと言う状態である。それでも不当な電話代を払わずにすむのだから悪くはない。
 後はezwebというサイトがあってこれは携帯のwebサイトであるが、ページが変わる毎に有料であるとのことで、普通のパソコンユーザーとしてはとても利用する気にはなれなくて、auの欠点としていろいろ指摘されている。定額制でないと普及は難しいと思う。
 携帯電話待ち受け画面のサイトはパソコンからも問題なく利用できるようだが、着信音楽の利用は携帯電話からでないと利用できないのは、ファイルの関係だろうか。
 以上多くの人には既に経験済みのことだと思うが、私には初めてのことだったのでつい言いたくなってしまった。



冨山善夫(とみやまよしお)
都美恵窯(つみえがま)

陶房
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